三年前から?

さきがけonTheWebの「なんでもQ&A」より。小中學生向けの記事らしく、わかりやすい。

国は普段よく使われる漢字を表にし、目安として示しています。それが常用漢字表で、1945字の読みと使用例が載っています。/この表は1981年に作られたままです。25年以上がたち、その間にパソコンや携帯電話などを使う人が増えました。手書きよりも楽に難しい漢字を使って文章が書けるので、普段目にする漢字は前より多くなっています。その結果、常用漢字表にはないけれども使われやすい漢字が増えました。/表が実態と合わなくなってきたため、文化審議会国語分科会は3年ほど前から見直しを行っています。

賢い小中學生なら、二十五年も前に作つた目安を三年前からやうやく見直し始めたのかと不審に思ふに違ひない。パソコンや携帶の普及が最近だとしても、書籍や雜誌は昔から常用漢字表にない漢字を使つてゐたではないか。驛や地圖でも「おか山」「くま本」ではなく「岡山」「熊本」と書いてゐたではないか。

この際、政府と云ふものの愚かしさを學校できちんと教へてやつて貰ひたいものだ。(木村 貴)

 「常用漢字」は撤廢が筋

MSN産經ニュースに「常用漢字 新基準は制限色を薄めよ」と云ふ「主張」が掲載された。的を射た指摘である。

常用漢字表(1945字)の改定作業を進めていた文化審議会国語分科会漢字小委員会は、「岡」「熊」「茨」など都道府県名に用いられている漢字を常用漢字とする案を、上部組織の国語分科会に報告することを決めた。こんな字も常用漢字でなかったのかと思った向きもあったに違いない。
(中略)
わが国の国語表記は漢字仮名交じり文が基本である。ここを押さえれば、見直しで文字生活の実情に少しでも近づけようとしていることには一定の評価を与えることができる。名称はなお検討課題のようだが、常用漢字表のほかに準常用漢字表を立てて、字種を拡大しようとしている方向性もよい。

「準常用漢字表」も漢字使用の制限を弱めると云ふ意味では評價出來るとの立場である。これはこれで賛同出來る。

ただし、簡単に漢字が打ち出せるので漢字多用化傾向が強まるから、むしろ常用漢字表の意義が高まるという基本的な考え方には疑問がある。
漢字は難しい、中でも字画の込んだ字は難しいというのは、これまでの国語政策の考え方の中心にあった固定観念ではないのか。漢字の中で最も多い形声文字は、字形が意符と音符の部品で組み立てられている。その字形と、字音、意味がセットになった記号だから、音声を表すだけの仮名よりもずっと分かりやすく、理解しやすいという研究もある。

「簡単に漢字が打ち出せるので漢字多用化傾向が強まるから、むしろ常用漢字表の意義が高まる」と云ふ考へを漢字小委が表明してゐるとは知らなかつた。産經ニュースが批判する通り、とんでもない考へである。

文字は同時代だけでなく、歴史を貫いて継承されるべき高度な公共財だ。出現頻度の調査資料についても戦後国語政策を反映していない戦前の文献にも同等の重きを置くなどの配慮が望ましかった。さらに、論議を深め、文化の継承の意義を重く見て、新漢字表の提示に当たっては、ルビの活用を明示するなど制限色を極力排したものとなることを強く望みたい。

唯一氣になるのは、文字が「公共財」であると云ふ箇所である。公共財とは經濟學の用語だが、經濟學において公共財とは、民間の自由な使用に任せず政府が介入すべき對象であると云ふことを意味する。しかし漢字を含め國語に政府が介入すると取り返しのつかない害惡をもたらすことを我々は知つてゐる。文字は政府のものではない。介入は一切排すべきである。制限色を「極力排」せよとの主張をさらに一歩進めて、制限そのものを撤廢すべきなのだ。(木村 貴)

 「岡」「熊」も常用漢字に

「岡」「熊」も常用漢字に 文化審漢字小委が方針
 社会生活でよく使われる漢字の目安となる常用漢字表の改定作業を進めている文化審議会漢字小委員会は9日、現行の1945字に入っていない静岡、岡山、福岡の「岡」や熊本の「熊」など都道府県名に使われている11字を新たに常用漢字とする案を了承した。近く上部組織の国語分科会に報告する。
 現行の常用漢字表は、人名や地名など主に固有名詞だけに使われる漢字を対象外としている。しかし、都道府県名は特に使用頻度が高く、公共性も特に高いことから「常用漢字に入っていないこと自体が不自然だった」と現状に合わせることとした。
 新たに常用漢字となるのは岡などのほか茨城の「茨」、栃木の「栃」、埼玉の「埼」、山梨の「梨」、岐阜の「阜」、奈良の「奈」、大阪の「阪」、愛媛の「媛」、鹿児島の「鹿」の計11字。
 これ以外の地名や人名などに使われる表外字は数が膨大になることから、基本的に表外字のままとする方針だが、「韓」「彦」のようによく使われる漢字を常用漢字にするかどうかは個別に検討する。
北海道新聞

そもそも「岡」や「熊」が常用漢字に入つてゐなかつたこと自體驚きだが、要するに、常用漢字なる基準がいかに意味のない代物であるかと云ふことである。他の報道によると、漢字小委は「讀めるだけでいい漢字」を集めた「準常用漢字表」を制定することも檢討すると云ふ。「準常用漢字」……。ますます譯が分からなくなる。税金を使つて國語を混亂させるのはいい加減にして貰ひたい。(木村 貴)

 中國が正體字復活へ一歩

中國語新聞「半月文摘」2007年12月12日號記事より。譯及び括弧内の註は本會評議員の山田弘氏。

2007年10月末、北京において、教育部(日本の文部科学省に当たる)の言語文字研究所(原文は「語言文字研究所」)と国家漢語国際普及指導班(原文は「国家漢語国際推広領導小組辧公室」)の共同主催により、「第八回国際漢字研討会」(原文は「第八届国際漢字研討会」)が開催された。

大陸安徽大学校長・黄徳寛、北京大学・蘇培成教授、同・李大遂教授、台湾中国文字協会理事長・許学仁、および日本や韓国などの専門家が参加した。

本大会では、「簡体字繁体字(正体字)を共存させ、将来、だんだんと正体字を使用する方向へ移行して行く」ということで、初めて満場一致の決定をするに至った。1956年1月に、「中国文字改革委員会(原文のまま)」が第一回の漢字簡体化のプランである「漢字簡化方案(原文のまま)」を公布して以来、50年余りを経て、中華文明を守護する戦いは一つの結果を見ることになった。

孫中山孫文のこと)先生は、諄々と我々に諭した。「思うに、一民族の進歩の過程において、文字を持つということは、決して簡単なことではない。また、その文字の勢いは、周辺民族、隣接民族を併呑し、侵入してきた民族(元や清のことを指すらしい)も、中華民族を同化させることができなかったばかりか、逆に、進入民族の方が中国に同化することになった。文字の功績はかくも偉大なのである。今日の新しい学問を学ぶ人々の中には、中国文字を廃止する説を唱える者もいるが、私の見るところでは、中国文字は決して廃止してはならないものである」。

また、孫中山先生は「そもそも人類の歴史始まって以来、5000年に及ぶ出来事を詳細正確に、かつ中断なく記すことができたのは、中国文字だけである」とも言った。

馬寅初、章伯鈞、龍雲、翦伯賛、陳夢家(いずれも戦後の人)などの多くの正義の士が奮起して、いわゆる「文字改革」に反対し、残酷な弾圧に遭った。今こそ、我々は、こういう泉下の人々の英霊、および漢字を固く擁護した学者先生方に報告して、喜んでいただけることができるのだ。

「国際漢字研討会」は1991年に韓国が提案して成立したものである。韓国と台湾で使用している正体字、中国大陸で使用している簡体字、日本で使用している略字を使う際に、混乱が生じることを避けることがその目的であった。

今回の会議では、さらに進んで、香港、マカオシンガポール、マレーシア、ベトナム、タイなどの国々や地域も新会員として参加し、漢語使用の範囲が広がることになった(ここはちょっとおかしいのですが、原文のままです)。

中国は、今回の会議において、妥協と譲歩を行い、5000余の常用標準漢字(原文では常用標字)に関して、正体字を使うように統一するが、個別の簡略字(簡体字と日本略字のことであろう)は継続使用を認める、という提案をした。

正体字を使えば、秦の時代以来の歴史的文献を読むこともできるが、現在大陸だけでしか知られていない簡体字では、歴史的文献を読解することは不可能である。

大陸で正体字が使われるようになったら、胡錦涛総書記でさえ、人に揮毫する際には、すべて正体字を使い、簡体字を使う必要はなくなる。

かつて、毛沢東は、正体字は画数が多く、読みにくく、憶えにくく、文盲を一掃するためには不利だ、と強調した。しかし、中国大陸で強制的に簡体字を使わせるようになってから50年余り、文盲は一掃しようとすればするほど多くなり、逆に、正体字を使う、台湾、香港、マカオシンガポールでは、文盲は増えていないようである(「減っている」とは書いてありません。原文どおりです)。

現代社会では、コンピューターが普及し、いわゆる正体字の、画数が多く、読み書きに苦労するという欠点は、すでに存在しない。(コンピューターで書く手間が省けることを言っているのですから、「書き」だけで「読み」は含まれないと思うのですが、原文のままです)

文字は、人類の言語、および、言語を使って表記する思想の一種の符号体系である。

5000年以上の歴史が作り出した中国文明と中国文化は、すべて漢語によって伝えられ、工具や技術の基礎となった。漢字を排除したり否定したりするのは、歴史を形成してきた伝統文化と技術の基礎を除去しようとする暴挙である。

漢字の一大特徴は、字形が安定していて、形が整っており、乱れることがないということである。どんな方言であれ、どんな発音であれ、文字で書き表せば、意志の疏通に不便はない。文字占い、運勢占いの先生たちも、みな、正体字を基礎にして占いや予言をする。
先人たちが漢字を作り出した当時、一つ一つの字の書法はすべて重大な意味と理由を持っていた。漢字の形を変えてしまうと、文化に断層が生じてしまう。

今回の漢字の規範を確立しようという作業は、必ずや一歩進んで、漢文化の普及を拡大し、民族間の交流を増進し、現在流行になりつつある中国語熱をさらに大きく発展させることになるであろう。

 ウェブサイト移轉

當會のウェブサイトが移轉します。

(舊)http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/
(新)http://kokumonkyo.jp/

舊サイトは年内を目處に閉鎖致します。閲覽者の皆樣、どうぞ宜しくお願ひ致します。
なほ當「傳言板」に変更はありません。

 國語問題協議會報「國語國字」第百八十八號

平成十九年七月十三日發行

第七十九囘講演會

  • 「やまと」と「ほとけ」の語源について 田中 英道
  • 政治問題としての國語問題 川畑 賢一
  • 日本語は命 土屋 道雄

追悼

  • 村尾さんの追悼 宇野 精一

特別寄稿

  • 言葉の雜學(八)鹽原 經央

會員寄稿

  • 國語は國を守る 本村 久郎
  • 體驗的國語國字考 椿原 泰夫
  • 文化廳「敬語の指針」の粗末 萩野 貞樹
  • 文化審議會答申「敬語の指針」の定義を問ふ 上田 博和
  • 切字の由來 齋藤 恭一
  • にぎたまのローマ字 上西 俊雄
  • 聖書に於ける國語問題(その六)松岡 隆範
  • 理不盡な兩成敗 木村 貴
  • じぼたれる 高崎 一郎
  • 荒海や 市川 浩

會員通信

  • 大橋 眞範

書評

  • 桶谷秀昭氏の『人間を磨く』を讀む 萩野 貞樹

和歌

  • 契沖研究會短歌大會寄稿歌

編輯後記 谷田貝 常夫
題 字 近藤 祐康