日本語の泉

『日本語の泉』(和泉書院)山崎馨(神戸大學名譽教授)著

日本語の泉

日本語の泉

本書は、一言で言へば、日本語の美しさを顯彰する作品でせうか。

「漢字の音讀み・訓讀み」「五十音圖」に始まり、日本語がどのやうに發展して來たかを分かりやすく解説してゐます。

古代からの日本語の變遷に興味を抱く人の中には、正漢字(舊字體)と歴史假名遣を重視する人が多いのですが、山崎氏もその範に漏れません。

「藝」(げい)と「芸」(うん)が別字であるのはよく知られてゐます。戰後の國字改革が、無分別な略字を作つたために、混亂が生じたのです。氏は、さらに類似の例として、「蟲」と「虫」を紹介してゐます。「虫」は、音が「キ」であり、そもそもは「まむし(蝮)」の意味ださうです。「虫」は「むし」ではないのです。

また、「君が代」の歌詞に觸れて、どうして「いわお」ではなく、「いはほ」にしなければいけないか、などを論理的に解明してゐます。

本書が一番力を入れてゐるのは、「上代特殊假名遣」です。

古代日本語には八つの母があり、i・e・oに亞種があつたといふ話です。現代語のi・e・oと同じ發音のものを「甲類」と言ひ、亞種を「乙類」と言ひます。ローマ字書きする場合は、乙類の母音にはウムラウト(點二つ)を打つて表記しますが、この書評では、パソコンの事情により、ウムラウトが打てないので、e(乙)と表記します。

萬葉假名の、この假名遣の書き分けについて、本書は、非常に見やすい一覽表を示してゐます。

壓巻は、この「上代特殊假名遣」に由來する、古代日本語の十個の母音法則です。氏はこの十大法則に A〜J の符號を付し、丁寧な解説を加へます。

古代日本語が「八母音體系」になる以前には、「三母音體系」(a,u,iだけ)の時代があつたやうだといふのです。そして、「i+a=e」といふ縮約が起つて、e(甲)が誕生しました。このやうにして、だんだんと母音の數が殖えて行つたといふわけです。たとへば、「咲く」に完了の助動詞「り」を付けた「咲けり」は、連用形の「咲き」に「あり」が接續し、saki-ariとなり、そのi-a がeとなつたために、「咲けり」となりました。それが、恰(あたか)も命令形(已然形ではない)に「り」が接續するやうに見える結果を生んだのです。(母音法則G)

「古代日本語は母音の連續を嫌ふ傾向が強かつた」といふことは、萬葉集を讀んでゐるとよく理解できることなのですが、その背景には、上の「i+a=e(甲)」のやうに、母音が連續すると別の母音に變る(あるいは片方が脱落する)現象があつたからだといふことが説明されてゐます。

また、「a+i=e(乙)」といふ法則もあります(母音法則H)。雨(あめ)は複合語の中では、雨傘(あまがさ)のやうに、「め」が「ま」に變ることがありますが、これは、この法則によるものです。そして、複合語の方が古い形であつて、「あま」に「安定劑に相當する助詞『い』」がついた結果、ama+i=ame(eは乙)となつて、「あめ」が誕生しました。

このやうな、面白い話がたくさん收録されてゐます。

本書は、言語問題・日本語問題に造詣が深い人にとつても、また、これからかういふ方面のことを勉強してみようといふ初心の方々にとつても、大いに啓發される所があるはずです。

「日本語の泉」は非常に分かりやすく書かれてゐます。本書では漢字の字音(音讀)のルビだけは歴史的假名遣でなく、現代假名遣に準據してゐますが、これも、初心者に讀みやすくといふ配慮からでせう。字音の假名遣と和語の假名遣は原理が違ひますから、統一性を缺くといふ非難は該らないと思ひます。

新漢字を使つてゐるのは殘念な氣がしますが、これも、戰後教育を受けた人には、正字では讀みにくいといふ現實がある以上、仕方がないことです。それだけに、一般の人には讀みやすいでせう。

すでに日本語の歴史に精通してをられる方々も、改めて、かういふ理窟だつたのかといふことを知れば、目から鱗の落ちる思ひがするのではないでせうか。

山崎氏は「飛鳥古京を守る會」の會長をなさつてゐるさうです。

なるほど、飛鳥の古京を守らうといふ氣持と、日本語の傳統を守らうといふ氣持は同じ所から出てゐるのだと納得されるのです。

廣い範圍の方々に讀んでいただきたいと思ふ名著です。

私と國語(加藤忠郎)

私が國語問題協議會に入會したのは、未だ若かつた頃である。手許にある一番古い「國語國字」は昭和四十七年十月一日發行で第七十二號なので、その頃入會したと思はれる。結婚した翌年の二十八歳だつた。會誌に依ると此の年の五月に小汀利得名譽會長が逝去されてゐる。此の頃の會合は世界經濟調査會の中で行はれてゐたと記憶する。

私は大學は技術系で、會員で技術系の方は少く、理事の市川浩さんしか知らない。何故國語に興味があつたかと言ふと、中學の國語の先生が熱心な先生で、現代文法の五段活用と古文の四段活用の違ひを理論的に説明してくれて、古文の文法の論理性に惹かれたのかも知れない。

大學卒業後就職した自動車會社で報告書を書く時等、結構正しい日本語を書くやう氣を遣つた。本協會に入會するきつかけは良く覺えてゐないが、おそらくは福田恆存先生の「私の國語教室」の記事を何かで讀んで本協議會の存在を知つたのではないかと思ふ。入會してから講演會に出席したり、會誌を讀んだりして行く内に、段々と正漢字、正假名遣ひに惹かれて行き、自分でも書いてみやうと思つたが、實際に書き始めたのは、ずつと後年のことである。

自動車會社を辭め岳父の會社を手傳ふやうになつて、外部講習の報告書等を時々正漢字、正假名遣ひで書いてみたことがあつたが、餘り評判が良くなかつたので止めてしまつた。假令身内の會社でも、ビジネスに關聯してゐる分野では中々難しい。その後、何年かして、日記を正漢字、正假名遣ひで書いてみようと思ひ立ち、今でも續けてゐる。日記は子供の頃から附けて居るので習慣になつてゐて、良い練習になる。始めは分らない正漢字や送り假名があると、電子辭書で引いてゐたが、段々引く頻度が減つて來てゐる。電子辭書には廣辭苑が入つてゐて正假名遣ひも附記されてゐる。しかも漢字をクリックすると漢和字典に飛んで行き、正漢字もチェック出來、中々便利である。昔、冨山房の「大日本國語辭典」を購入したが、殆ど使つてゐない。

最近學士會の講演會で石川九楊氏の「縱に書け、縱に考へよー縱と横の文化學」と言ふ講演を聽き、その感想文を學士會のサイトに投稿したことがある。縱書きで正漢字、正假名遣ひで書いてみた。そしたらなんと採用してくれて、しかも他の感想文は横書き、現代假名遣ひなのに、私の感想文のみ、その儘縱書き、正漢字、正假名遣ひで掲載してくれた。掲載畫面を紹介する。

http://www.gakushikai.or.jp/service/event_report/report_1121.html

少しは本會の趣旨のPRに資するのではないかと愚考し、恥かしげもなく投稿した次第である。
(かとう ただを・本會評議員

即興詩人梗概


◇「即興詩人 梗概」(發行 NPO 文字文化協會/編輯 谷田貝常夫)
 森鴎外生誕150年に因んで行はれてゐる讀書會ならびに催されたシンポジウムのために作られた册子です。「即興詩人 梗概・付録:漢字、古語、語法、表記、登場人物」58頁

發行 〒146-0085 東京都大田區久ヶ原3-24-6 
電郵:pancc@pcc.or.jp
電寫:03-3753-1429
振替:00180-4-581134 定價税込525圓

候文の手引


◇「候文の手引」(發行 文語の苑 代表幹事 愛甲次郎)
 文語文の衰頽を憂ひ、日本文化の根幹として文語文が長く保持、活用されることを希求する活動の一貫として發行されたものである。107頁

文語の苑事務局 〒141-0032 東京都品川区大崎1-20-8 INOビル303 
電話:03-5435-8355
電郵:bungsono@tf7.so-net.ne.jp 
振替:00150-2-300436 「文語の苑」 定價税込525圓

アナフォリッシュ國文學



◇季刊誌「アナホリッシュ國文學」創刊號(發行 響文社)
 『國文學』といふ名前を冠した雜誌が消えてしまつた現状を憂へ、國文學研究再生の志から創刊された本誌の出現を心から壽ぎたい。書名にカタカナが入つてゐたので戸惑つたが、アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーの詩から採られた「清らかな水の湧き出る所」の意ださうで、本會の女性理事が、これは〈みづはの神〉のいます所だと指摘したのが印象的だつた。再生の意味をこめて「萬葉集」研究が特輯されてゐるが、誌名から推測されるやうに何人かの外國の國文學研究者のレベルの高い文章の登場にも目を瞠らされる。
 多くの人の贊同、支援を心より願つてゐる。

響文社東京分室 〒134-0087 東京都江戸川區清新町1−1−3−206
電話電寫:03-3869-3007
電郵:info@kyobunsha.com
振替:2720-4-44538 定價1600圓+税