中國が正體字復活へ一歩

中國語新聞「半月文摘」2007年12月12日號記事より。譯及び括弧内の註は本會評議員の山田弘氏。

2007年10月末、北京において、教育部(日本の文部科学省に当たる)の言語文字研究所(原文は「語言文字研究所」)と国家漢語国際普及指導班(原文は「国家漢語国際推広領導小組辧公室」)の共同主催により、「第八回国際漢字研討会」(原文は「第八届国際漢字研討会」)が開催された。

大陸安徽大学校長・黄徳寛、北京大学・蘇培成教授、同・李大遂教授、台湾中国文字協会理事長・許学仁、および日本や韓国などの専門家が参加した。

本大会では、「簡体字繁体字(正体字)を共存させ、将来、だんだんと正体字を使用する方向へ移行して行く」ということで、初めて満場一致の決定をするに至った。1956年1月に、「中国文字改革委員会(原文のまま)」が第一回の漢字簡体化のプランである「漢字簡化方案(原文のまま)」を公布して以来、50年余りを経て、中華文明を守護する戦いは一つの結果を見ることになった。

孫中山孫文のこと)先生は、諄々と我々に諭した。「思うに、一民族の進歩の過程において、文字を持つということは、決して簡単なことではない。また、その文字の勢いは、周辺民族、隣接民族を併呑し、侵入してきた民族(元や清のことを指すらしい)も、中華民族を同化させることができなかったばかりか、逆に、進入民族の方が中国に同化することになった。文字の功績はかくも偉大なのである。今日の新しい学問を学ぶ人々の中には、中国文字を廃止する説を唱える者もいるが、私の見るところでは、中国文字は決して廃止してはならないものである」。

また、孫中山先生は「そもそも人類の歴史始まって以来、5000年に及ぶ出来事を詳細正確に、かつ中断なく記すことができたのは、中国文字だけである」とも言った。

馬寅初、章伯鈞、龍雲、翦伯賛、陳夢家(いずれも戦後の人)などの多くの正義の士が奮起して、いわゆる「文字改革」に反対し、残酷な弾圧に遭った。今こそ、我々は、こういう泉下の人々の英霊、および漢字を固く擁護した学者先生方に報告して、喜んでいただけることができるのだ。

「国際漢字研討会」は1991年に韓国が提案して成立したものである。韓国と台湾で使用している正体字、中国大陸で使用している簡体字、日本で使用している略字を使う際に、混乱が生じることを避けることがその目的であった。

今回の会議では、さらに進んで、香港、マカオシンガポール、マレーシア、ベトナム、タイなどの国々や地域も新会員として参加し、漢語使用の範囲が広がることになった(ここはちょっとおかしいのですが、原文のままです)。

中国は、今回の会議において、妥協と譲歩を行い、5000余の常用標準漢字(原文では常用標字)に関して、正体字を使うように統一するが、個別の簡略字(簡体字と日本略字のことであろう)は継続使用を認める、という提案をした。

正体字を使えば、秦の時代以来の歴史的文献を読むこともできるが、現在大陸だけでしか知られていない簡体字では、歴史的文献を読解することは不可能である。

大陸で正体字が使われるようになったら、胡錦涛総書記でさえ、人に揮毫する際には、すべて正体字を使い、簡体字を使う必要はなくなる。

かつて、毛沢東は、正体字は画数が多く、読みにくく、憶えにくく、文盲を一掃するためには不利だ、と強調した。しかし、中国大陸で強制的に簡体字を使わせるようになってから50年余り、文盲は一掃しようとすればするほど多くなり、逆に、正体字を使う、台湾、香港、マカオシンガポールでは、文盲は増えていないようである(「減っている」とは書いてありません。原文どおりです)。

現代社会では、コンピューターが普及し、いわゆる正体字の、画数が多く、読み書きに苦労するという欠点は、すでに存在しない。(コンピューターで書く手間が省けることを言っているのですから、「書き」だけで「読み」は含まれないと思うのですが、原文のままです)

文字は、人類の言語、および、言語を使って表記する思想の一種の符号体系である。

5000年以上の歴史が作り出した中国文明と中国文化は、すべて漢語によって伝えられ、工具や技術の基礎となった。漢字を排除したり否定したりするのは、歴史を形成してきた伝統文化と技術の基礎を除去しようとする暴挙である。

漢字の一大特徴は、字形が安定していて、形が整っており、乱れることがないということである。どんな方言であれ、どんな発音であれ、文字で書き表せば、意志の疏通に不便はない。文字占い、運勢占いの先生たちも、みな、正体字を基礎にして占いや予言をする。
先人たちが漢字を作り出した当時、一つ一つの字の書法はすべて重大な意味と理由を持っていた。漢字の形を変えてしまうと、文化に断層が生じてしまう。

今回の漢字の規範を確立しようという作業は、必ずや一歩進んで、漢文化の普及を拡大し、民族間の交流を増進し、現在流行になりつつある中国語熱をさらに大きく発展させることになるであろう。