國語教育の本質

asahi.comによれば、次期學習指導要領の改訂で、文部科學省は、國語を他教科も含めた學習の基本と位置附け、「論理的な思考力」を向上させることを軸に教育内容を見直す檢討を始めた。

文科省によると、国語については、全体として「言語力の育成」を目指す。小学校段階から、対話や報告、要約、説明など言語の「技能」を確実に身につけ、さらに「活用」して思考を深めることを目標にする。さらに、高校の国語では、「文章などを理解し、論理的に考え表現する能力の育成を重視する」科目を新設する案も出ている。
「国語、学習の基本に 次期指導要領、言語力を重視」http://www.asahi.com/national/update/0728/TKY200607280691.html

國語教育が「文學主義」や「道徳主義」に偏重し、「技能」の習得を疎かにしてゐる問題は、以前から一部の識者により指摘されてきた。例へば時枝誠記は既に昭和四十一年の時點で、國語教育の目標についてかう述べてゐた。やや長いが引用する。

私に與へられた課題は、<國語授業と道徳授業との本質的な違ひとはなにか>といふことである。このやうな設問が提出される理由は、この二つの授業に混同が生じ、國語授業か道徳授業かの區別が判然としないといふ事實が生じてゐるためではないかと思ふ。/例へば、ある理想的な人間像を描いた物語文や、偉人の傳記を教材として生徒に與へた場合である。久しい以前からの國語教育の目標に對する通念として、國語教育は、すぐれた内容の讀み物を生徒に與へて、生徒に感銘を起こさせ、人間形成に何等かの寄與をするのが、國語教育の任務であると考へられて來た。〔中略〕戰前においては、皇國精神の作興をねらひとしたのに對して、戰後においては、民主主義道徳を鼓吹するところに目標が求められたといふ相違はあるが、國語教育の目標を、心情教育、精神教育に置かうとすることに變りはなかつた。〔中略〕國語教育といふことは、生徒の國語實踐、すなはち<話すこと><聞くこと><書くこと><讀むこと>の教育であり、そのやうな實踐を圓滑にし、正確なものにするところにあると考へなければならない。それは、<話しかた><書きかた>等の方法技能の教育と考へなければならない〔後略〕。
(『現代國語教育論集成 時枝誠記』 原文略字體、強調は引用者)

日本人の「心情教育、精神教育」偏重は戰前も戰後も變らないと云ふ指摘は實に痛烈であり、その裏返しとして「方法技能」を輕んずる國民的弱點を我々は一度じつくり考へてみる必要がある。それは兔も角、遲きに失した感は否めないものの、國語教育における技能重視の動きは基本的には歡迎すべきだと云へよう。

報道によれば、文科省幹部は「話す、聞く、書く、読むの中核には『考える道筋』がある。この道筋に必要な要素を言語の面からとらえて、適切に教える必要がある」と話してゐると云ふ。時枝誠記の「<話すこと><聞くこと><書くこと><讀むこと>の教育」と云ふ指摘をなぞつたかのやうな表現である。「論理的な思考力」とやらがもてはやされる遙か以前に國語教育の本質を見拔いてゐた時枝の慧眼に感服する。(K)