「ゐ」「ゑ」の廢棄等に關して(中井茂雄)

ソプラノ歌手の藍川由美氏は「狹霧消ゆる港江(え)の/舟に白し朝の霜/ただ水鳥の聲(こゑ)はして/いまださめず岸の家(いへ)」の歌を通して、この歌詞に含まれた「え」「ゑ」「へ」(ルビ部分)はそれぞれ異なる音であることを示された。

このことに關して國語學者の山田孝雄(よしを)は「文部省の假名遣改定案を論ず」(大正十三年二月發表)の中で次のやうに述べてゐる。(註・大正十二年十二月二十四日に臨時國語調査會は假名遣改定案を滿場一致で可決したが、その第一に「ゐ」「ゑ」を、「い」「え」と同音であるといふ理由で廢棄するとしてゐる。)

「……『ゐ』『ゑ』の二音は發音上、『い』『え』となれりといふ論あらむ。如何にも國語調査會の例示せる如きにはその如くに發音すといふを得む。されどこの文字のあらはす發音は國民間には存在せるものなり」と。山田孝雄は「い」と「え」、「ゐ」と「ゑ」とは異なる音であると指摘してゐるのである。そしてこの事は「少しく聲音學の智識を有するものならば、誰にも心づかるべきことなり」と言ひ、「粗雜なる世俗的の智識を以て俗人にこの音の有無を問ひ、彼らが無しと答へたりとて、直ちに無しとするが如きは大早計の事なりといふべし」と述べてゐる。

さらに次の如く指摘する。「かくて又『ゐ』『ゑ』の廢棄よりして五十音圖と伊呂波歌とは當然廢棄せらるゝに至らむ。國民は果してこれを容認すべきか。今伊呂波歌は姑(しばら)く措き、五十音圖の如きは國語の組織を説明せむが爲に案出せられしものにしてこれによりて國語の理法に幾許(いくばく)の便宜を與へたりや量り知るべからず。」

また、フランス文學者の市原豐太(元國語問題協議會副會長)は、「言靈(ことだま)の幸(さきは)ふ國(くに)」の第二編「國語の愛護」(昭和六十年)の中で、芭蕉の「晝(ひる)ねぶる青(あを)鷺(さぎ)の身(み)のたふとさよ」の句をあげ、次のやうに述べてゐる。(この中の「たふと」は、現代かなづかい」では「とうと」となるが)「一方(前者)は美しく、他方(現代かなづかい)は平板です。一方は語源的に正しく、合理的ですし、ふのやはらかさがあります。他方は音移しに過ぎず、理から一歩離れ、うは硬いのです。合理的なものは美しく、非合理なものは醜い」と。

更にかう指摘する。「感覺的に言つて、ハ行の音は、もう少しで消えさうに、柔かく輕いのに對し、ア行の方は明確な代りに硬いのです。『やはらかく』は如何にも柔軟な感じです。ア行に闖入(ちんにふ)するワ行に至つては、どぎつく重苦しくなります。『やはらか』と『やわらか』の差異。新假名遣で最も重大な誤りの一つは、音韻の美しさを顧みぬ、このハ行をワ行に移したことです。」

現代假名遣では、「居る(ゐる)」「美しい」「思ひ出」の「ゐ」「い」「ひ」を一樣に「い」と表記することにしたが、これらは同じ音ではない。また、「思ふ」の「ふ」は「上野(うへの)」の「う」と同じ音だとして「う」とすることにしたが、この「ふ」は「う」と同じ音ではない。「大(おほ)きい」は現代假名遣では「おおきい」であるが、語頭の「お」は「明確で硬く」發音するが、語中の「お」は「柔らかく、軽く」發音する。從つて子音「h」を付し「ほ」と表記するのは自然で、理に適つてゐる。「匂ふ」は現代仮名遣では「におう」であるが、われわれは語中の「お」も「う」も「明確に硬く」發音してをらず、「もう少しで消えさうに、柔らかく輕く」發音してゐる(從つて「にほふ」と表記する)。さう發音し、さう表記した方が理に適つてゐるからある。

「表記法は音にではなく、語に隨ふべし」といふのが、われわれの主張である。歴史的假名遣は正にその原理のもとに成り立つてゐる。しかし、さうであつても、歴史的假名遣は日本語の音韻の美しい陰翳(ニュアンス)を見事に捉へてゐるのである。